ホピ子製作日記:公開 #03

 皆さん、こんにちは!

 今週、僕は “人生初” の入院を経験しました。ちょっとしたことだったんですが、大腸検査でポリープがあったので、その切除をして1泊の入院。これまでお見舞いで行くことはあった病院の部屋に、じっと寝てるしかない状況でいると気分が滅入りますね~。なので、ほとんど寝てやりました! これでもかってくらい。おかげで退院した翌日からは、お腹が減ってパワーはでないけどなんだか気力は充実。組織検査とやらはまだ後日ですが、他に何もなかったし、全然大丈夫だろうと楽観視しているので逆にいいリフレッシュになりました。入る前はどよ~んとしていたけど、出たらスッキリ! ここから澱んでた空気をクリアにするために張り切っていきます!!

初の入院食。おかゆの味、何もしなかった…

 さて、前回「パスワード付き日記#2」でお話した「目的地」のことに今回は触れたいと思います。絶望のなか、それでも前を向いて責任を果たそうと、自分がすべきことを頭の中でぐるぐる巡らせて考えてみたところ、まずはレースに出るためにどんな選択肢があるか、というところでした。

 実のところ、今すぐレースに出る為の車両をうちは2台保有しています。“初代ホピ子”であるマザーシャシー。そして2021年まで使用していた“ホピ輔”ことポルシェ911GT3Rの2台です。この2台共にメンテナンスやパーツ等の交換をしなければいけないけど、それをすればスーパーGTに参戦は可能です。そこで最初に考えたのは、次世代GT300規定車両のレギュレーションが固まるまでの間、次のクルマを作るまでの時間とその製作資金を集める為に“初代ホピ子”で参戦を継続するという選択肢でした。

 スーパーGTでは、参戦を継続していないと“参戦権利”を失ってしまい、他のチームがやめない限り戻ることができなくなってしまいます。実際は1年休会ができてお休みは可能ですが、製作資金とレギュレーションの確定がいつになるかは不透明…。そこで、コスト的にも現実的にも可能性がある選択肢として、最初に“初代ホピ子”での参戦が最有力候補となっていました。

 でもなんだかしっくりこない。確かにレースには出られるけど果たしてそれが最適解なのか、その疑問はみんな感じていたことでした。そこでみんなに「ホントはどのクルマでレースしたい?」って聞くと、メカの宮島が「ホピ子2(以下、ホピ子)は自分で作ったクルマで手もすごくかかったから、ホピ子がホントはいい」と。「そうだね、あれだけ手間も時間もかけてこれで終わるのは寂しいよね」とそこにはみんなが同意。本音はみんな自分たちが作ったクルマでレースに出たいんです。当たり前ですが。

 そしたらエンジニアのきのっぴが「つちやエンジニアリングの未来、5年後とか10年後の近い将来にどうなっていたいか、が重要なんじゃない?」と。続けて「僕は日本のレーシングカーコンストラクターとして、つちやが存在していたい」と言いました。これに工場長の武藤も「まだやりたいことがたくさんあるし、ホピ子には全然満足いってない。作るならもっといいクルマを作れると思ってる」。

 “初代ホピ子”でレースに出ようと話した時には歯切れの悪かった言葉が、ホピ子のことになるとポンポン出てくる本音。これを聞いていてハッキリとモヤっとしていた理由が分かりました。

 やっぱり “自分たちで作ったクルマ” でレースがしたいんだと。

 そもそも、うちのレースに参戦する意義は「若い職人を育てる」こと。理想を追い求めるのなら、自分たちの作ったクルマで出なければ活動趣意に反する。やはりそこはブレちゃいけないところだなと。

 みんなで話して、そして決めたことを貫く。新たに設定した目的地は「日本のレーシングカーコンストラクター」になること。そのために自分たちで作ったクルマでレースに出ること、ここは譲れない。目的地が決まればそこからはシンプルです。どんなに大変だろうと時間がかかろうと、その目的地までひたすら進み続ける、それだけです。もちろんこのゴールにたどり着くためには越えなければいけないハードルがたくさんあります。

 まずは、スーパーGTの参戦権利を失わないこと。そのためには製作資金を調達しなければなりません。でもここは皆さんからの温かい支援の声がたくさん届いていたので、リスクはありますが自分たちの力では及ばないところでしたので、この声に望みを託してスタートを切るという決断をしました。そもそも、応援されなければステージに立てないプライベーターですので、日本のレースのステージに昔ながらのプライベーターが生き残れるかどうかを、皆さんの想いに託すのはすごく自然なことでもあるなと思ったし、ファンの皆さんと一緒に作り上げるレーシングカーでスーパーGTの舞台で走ることができたらと考えると、すごく素敵なことだなって思えたので、“ホピ子復活プロジェクト”のスタートボタンを押しました。

 正直いうと、すごく怖かったし迷ったのですが、ここはもう選択の余地は自分にはないなって思って、そういう運命だと感じてるっていうのが本音です(^^;

 本当はこのブログはパスワード付きにしようと思ってたのですが、この経緯は多くの皆さんに知って頂きたいなって思ったので“公開”にしました。暑苦しい、面倒くさい生き方だとは思いますが、ずっと変えずにここまで来てしまったので、レースをやれている限り、皆さんに応援されている限り、このままでやり続けたいと思います。

 現在はホピ子をどうやって製作していくかの方向性がそろそろ固まってきているところです。それに伴いコストも段々と見えてきました。なかなかハードルは高いですが、それを乗り越える根拠をしっかりと積み上げて、必ず乗り越えていきます! その詳細も綴っていきますので、是非、ホピ子復活プロジェクトにご参加ください<m(__)m>

ではまた!

△▼△ おまけ △▼△

左から、武藤、東(アズマ)、木野、宮島。

今年の3月25-26日に富士スピードウェイで開催された公式テストでのクラッシュ後、ガレージに戻ってからの表情。開幕戦は4月15-16日。笑ってはいるものの、その心境は推して知るべし…。

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