つちやエンジニアリング代表・土屋武士よりご挨拶

つちやエンジニアリングは1971年に神奈川県藤沢市で、父、土屋春雄が創業しました。親父は伝説のメカニックとして知られ、プライベーターでありながら自動車メーカーのワークスチームを相手に数々の優勝と、5回の全日本チャンピオンを獲得し、「最強プライベーター」と呼ばれていました。

しかし2009年に資金難により活動を休止。その職人の技術と情熱が活躍する場を失ってしまいました。それは、次代を担う若い職人が育つ環境が、一つ消滅してしまったということと同義です。

活動休止を傍で見ていて、改めて置かれた状況を見つめ直し、いろいろと模索してきた私は、「職人魂」こそ継承すべき「未来をつくる原動力」であるという考えにたどり着き、継承できる環境をつくるため、「つちやエンジニアリング」を日本のレースシーンに復帰させることを決断し、その為に必死で活動をしてきました。素晴らしい仲間との出会いにも恵まれ、2015年に日本最高峰のレース「スーパーGT選手権」に7年ぶりに、つちやエンジニアリングとして戻ってくることができました。

復帰後もプライベーターとして「打倒ワークス」をテーマに再び挑戦して、2016年にシリーズチャンピオンを獲得し、トップチームとして復活を果たすことができました。つちやエンジニアリングにとって6度目の全日本チャンピオンでしたが、2021年に父、春雄が他界しましたので、親子で獲得した最初で最後のチャンピオンとなりました。

現在、2代目つちやエンジニアリングとして活動していますが、次代を担う若い職人たちに「職人魂」を継承していく場であること——、それがつちやエンジニアリングの存在意義だと思っています。私は、本質を貫く職人のプライドが、現代の日本を豊かにしてきた要因の一つだと思っています。ただ、今は “本質を貫いて生きる” ということが非常に難しい場面が増えてきていると感じていますが、「技術」において本質を蔑ろにすることはできません。今も昔も、変えられないことがあるはずだと、私は思います。

私が今「やるべきこと」、それは良き伝統の継承と、次代を担う若い世代が成長できる環境を作ること。そして、それを長く続けることが私の使命だと、そう思っています。

父が他界した後、若い職人たちだけでマシンを製作し、レースに参戦していましたが、2023年のレース中にそのマシンが全焼してしまい、レースへの参戦が継続できなくなりました。しかし、レース仲間やレースファンの皆様から「辞めるな」「プライベーターの灯を消すな」という声を数多くいただき、また、支援として製作資金も多くの方からいただきました。たくさんの皆様に勇気をいただき、レーシングカーを再び製作することができ、2024年のスーパーGT選手権 第1戦から復活することができました。本当に幸せなことだと感じますし、この環境をとにかく絶やさないことが、私のやるべきことだと改めて思っています。

「25PRIDE Supporters CLUB」は、我々のようなプライベーターを日本のレースシーンから失くさない為に生まれました。正直、マシンが全焼したときは「もうダメだ」と思いました。しかし、これまで以上に多くの皆様からの温かい支援の声をいただいた時、「やっぱり辞められない」と思うことができました。間違いなく皆様が背中を押してくださらなければ続けることはできなかったと思います。

時代の流れには抗えないかもしれません。どこかでまた大きな壁にぶち当たって進めなくなるかもしれません。しかし、我々が進む道は一本しかありません。どんなに大きな障壁がその道にあろうと、我々はその道をまっすぐ行くしかないと、そう思っています。それが皆様に繋げていただいた意味だと、そう思っています。

ブレずに、頑なに。“本質を貫く”ことを、ただただ続けていく。こんな我々の活動を、一緒に歩んでくだされば幸いです。

その先に、未来が開けることを信じて——。

2024年5月20日
つちやエンジニアリング 代表 土屋武士

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